注:本旅行記は2020年1月のものであり、現時点の状況とは異なる場合が多いにあり得ます。その点ご留意ください。
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船で国境を越えてみたいとは何度も思っていた。例えば、北海道の稚内から宗谷海峡を越えてサハリンのコルサコフに至る航路はかねてから私の旅情を掻き立てていた。日本の端っこからさらに先に行ける、というのである。日本地図にかすかに描かれるかどうかの地への興味、そしてそこへ至る航路への関心は想像力をたくましくさせるだけのものであった。しかし、乗りたい時に限って運航日と私の手帳に刻まれた予定が丸被りしたり、財布が旅費の支出に難色を示したりした。そんなこんやしているうちに、徐々に運航体制が縮小され、2019年にはついに1日たりとも運航されなかった。チャンスを逃してしまった悔しさはそう小さくないものである。
しかし、西日本に目を向ければ、「船で国境を越える」ということ自体は容易に達成可能である。福岡から釜山へは毎日多くの船が行き来している。また、対馬は昨今韓国人に人気の観光地としても知られるが、彼らが韓国から対馬を訪れる手段はもっぱら釜山からの船だという。対馬海峡においては日常的に船で二国間を行き来する旅客がいるのである。
その対馬海峡を越える国際航路の中で1つだけ大阪から釜山まで客扱いをする航路がある。これが今回乗船したパンスタードリームである。私ははるばる空路で札幌から大阪まで赴いて、船での国境越えという積年の夢をかなえるのであった。
阪神百貨店地下のスナックコーナーで腹ごしらえをしたのち、御堂筋線と中央線を乗り継ぎコスモスクエア駅へ。混雑する地下鉄車内でスーツケースはやはり肩身が狭い。そこから、人が少ないが道幅は広いという典型的な港の道を歩くこと15分ほど、コンテナを乗せたトラックが頻繁に行き来するふ頭にたどり着く。最後は通るのを一瞬ためらうようなコンテナ置き場わきの道を通ると、ふ頭の一角にポツンとある国際フェリーターミナルからパンスタードリームは出発する。少し早めにたどり着いたためだろうか、少し薄暗いターミナルの中に人はほとんどいない。警備の警察官がその存在感を少し緩めに示しているくらいである。どうも、このターミナルがふ頭の制限エリア内へ入る人への検問所も兼ねているらしい。そこで働いていると思しき人が何人か警察官のチェックを経て出入りしていた。
15分くらいたっただろうか。ふと目線の向きを変えると、窓口が開き乗船手続きが始まったところであった。とはいえ、その時点でもターミナルにいたのは20人いるかいないか。しかも、特にアナウンスも何もあるわけじゃないので窓口が開いたのに気づいた人から順に手続きが行われている状況だ。並ぶも何も人がいないし、窓口へ向かう人はもっと少ないのである。私の手続きも窓口の開店に気づいてから5分足らずで終わってしまった。
出国審査が始まるまで少し時間がある。特に何もないターミナルの中で座っていると、どこからか船会社のスタッフの方がやってきて、瀬戸内海の橋の通過時間などを書いた紙を渡してくれた。そして、彼は時間があるならこのターミナルの展望室に行ってみればどうかと私に勧めてきた。手持無沙汰だった私はその彼の勧めに素直に従ってターミナルの上にある展望室に行く。ガラス張りの壁に囲まれた展望室からは今日乗る船に貨物を積み込んでいく様子はよく見える。しかし、それ以上でもそれ以下でもなかった。普通の建物の3階という高さを考えれば、船がよく見えることこそが一番のセールスポイントなのだろう。
展望デッキから戻ってもなお手持無沙汰だった私は、ここから出る新鑑真の案内リーフレットをふと手に取ってみてみる。なるほど、こちらもなかなか設備は充実していそうである。この時、すでにメディアでは中国で新型の肺炎が出ているという話題で持ちきりであった。しばらく中国は行けそうにはないけどいずれ近いうちに船で上海に行きたいと思いながらリーフレットに目を通し、目的地とは違う異国への船旅に想像を膨らませた。
出国審査が始まるというので列に並ぶ。この時点でも列にいるのは30人程度であった。今日の乗客はこのくらいなのだろうと認識した。少しは余裕のある船旅になりそうだと感じ、少しホッとする。この並び列から聞こえる言語は韓国語が少し多く聞こえたとはいえ、日本語も決して少ないわけではなかった。
手荷物検査を経ずにいきなり出国審査である。特に何もなく淡々と出国スタンプを押される。出国審査場を抜けると、そこには船、ではなくて船まで行く連絡バスが控えている。フォークリフトやトラックが行き来するふ頭を安全に移動するためのものなのだろう。1人旅なのでギリギリ空いたスペースに何とか乗り込む。自分が乗った時点でひとまずバスは発車した。皆荷物をすべて持っているので20人いるかいないか程度の乗客にしては込み合っている。羽田空港内の循環バスをイメージしていただければ粗方ずれはないだろう。
船には喫水線からそう遠くないところであろう場所に空いた乗り口から入る。そこから、エスカレーターを乗り継いでロビーへ。ロビーにあるカウンターで部屋の鍵を受け取る。今日の寝床となる部屋は本来相部屋ではあるが、いかんせんこの人数である。当然のように個室として占有することになった。
個室は、2段ベッドがある部屋。テレビがあるのはいいぞ。このテレビ、日本の民放系BSが2つ映るほかは韓国の放送であった。ただ、安宿ばかり泊っていると異国のテレビ番組を見る機会もそうはないので、なかなか新鮮な経験である。
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船で国境を越えてみたいとは何度も思っていた。例えば、北海道の稚内から宗谷海峡を越えてサハリンのコルサコフに至る航路はかねてから私の旅情を掻き立てていた。日本の端っこからさらに先に行ける、というのである。日本地図にかすかに描かれるかどうかの地への興味、そしてそこへ至る航路への関心は想像力をたくましくさせるだけのものであった。しかし、乗りたい時に限って運航日と私の手帳に刻まれた予定が丸被りしたり、財布が旅費の支出に難色を示したりした。そんなこんやしているうちに、徐々に運航体制が縮小され、2019年にはついに1日たりとも運航されなかった。チャンスを逃してしまった悔しさはそう小さくないものである。
しかし、西日本に目を向ければ、「船で国境を越える」ということ自体は容易に達成可能である。福岡から釜山へは毎日多くの船が行き来している。また、対馬は昨今韓国人に人気の観光地としても知られるが、彼らが韓国から対馬を訪れる手段はもっぱら釜山からの船だという。対馬海峡においては日常的に船で二国間を行き来する旅客がいるのである。
その対馬海峡を越える国際航路の中で1つだけ大阪から釜山まで客扱いをする航路がある。これが今回乗船したパンスタードリームである。私ははるばる空路で札幌から大阪まで赴いて、船での国境越えという積年の夢をかなえるのであった。
阪神百貨店地下のスナックコーナーで腹ごしらえをしたのち、御堂筋線と中央線を乗り継ぎコスモスクエア駅へ。混雑する地下鉄車内でスーツケースはやはり肩身が狭い。そこから、人が少ないが道幅は広いという典型的な港の道を歩くこと15分ほど、コンテナを乗せたトラックが頻繁に行き来するふ頭にたどり着く。最後は通るのを一瞬ためらうようなコンテナ置き場わきの道を通ると、ふ頭の一角にポツンとある国際フェリーターミナルからパンスタードリームは出発する。少し早めにたどり着いたためだろうか、少し薄暗いターミナルの中に人はほとんどいない。警備の警察官がその存在感を少し緩めに示しているくらいである。どうも、このターミナルがふ頭の制限エリア内へ入る人への検問所も兼ねているらしい。そこで働いていると思しき人が何人か警察官のチェックを経て出入りしていた。
15分くらいたっただろうか。ふと目線の向きを変えると、窓口が開き乗船手続きが始まったところであった。とはいえ、その時点でもターミナルにいたのは20人いるかいないか。しかも、特にアナウンスも何もあるわけじゃないので窓口が開いたのに気づいた人から順に手続きが行われている状況だ。並ぶも何も人がいないし、窓口へ向かう人はもっと少ないのである。私の手続きも窓口の開店に気づいてから5分足らずで終わってしまった。
出国審査が始まるまで少し時間がある。特に何もないターミナルの中で座っていると、どこからか船会社のスタッフの方がやってきて、瀬戸内海の橋の通過時間などを書いた紙を渡してくれた。そして、彼は時間があるならこのターミナルの展望室に行ってみればどうかと私に勧めてきた。手持無沙汰だった私はその彼の勧めに素直に従ってターミナルの上にある展望室に行く。ガラス張りの壁に囲まれた展望室からは今日乗る船に貨物を積み込んでいく様子はよく見える。しかし、それ以上でもそれ以下でもなかった。普通の建物の3階という高さを考えれば、船がよく見えることこそが一番のセールスポイントなのだろう。
展望デッキから戻ってもなお手持無沙汰だった私は、ここから出る新鑑真の案内リーフレットをふと手に取ってみてみる。なるほど、こちらもなかなか設備は充実していそうである。この時、すでにメディアでは中国で新型の肺炎が出ているという話題で持ちきりであった。しばらく中国は行けそうにはないけどいずれ近いうちに船で上海に行きたいと思いながらリーフレットに目を通し、目的地とは違う異国への船旅に想像を膨らませた。
出国審査が始まるというので列に並ぶ。この時点でも列にいるのは30人程度であった。今日の乗客はこのくらいなのだろうと認識した。少しは余裕のある船旅になりそうだと感じ、少しホッとする。この並び列から聞こえる言語は韓国語が少し多く聞こえたとはいえ、日本語も決して少ないわけではなかった。
手荷物検査を経ずにいきなり出国審査である。特に何もなく淡々と出国スタンプを押される。出国審査場を抜けると、そこには船、ではなくて船まで行く連絡バスが控えている。フォークリフトやトラックが行き来するふ頭を安全に移動するためのものなのだろう。1人旅なのでギリギリ空いたスペースに何とか乗り込む。自分が乗った時点でひとまずバスは発車した。皆荷物をすべて持っているので20人いるかいないか程度の乗客にしては込み合っている。羽田空港内の循環バスをイメージしていただければ粗方ずれはないだろう。
船には喫水線からそう遠くないところであろう場所に空いた乗り口から入る。そこから、エスカレーターを乗り継いでロビーへ。ロビーにあるカウンターで部屋の鍵を受け取る。今日の寝床となる部屋は本来相部屋ではあるが、いかんせんこの人数である。当然のように個室として占有することになった。
個室は、2段ベッドがある部屋。テレビがあるのはいいぞ。このテレビ、日本の民放系BSが2つ映るほかは韓国の放送であった。ただ、安宿ばかり泊っていると異国のテレビ番組を見る機会もそうはないので、なかなか新鮮な経験である。
テレビのチャンネルの中にはこんなものの。これであなたも船長気分!、というだけでなくこの部屋含め窓がない部屋が多い中でお外の様子が見えるのは閉塞感をやわらげる意味では重要なもんだろうな,と感じた。
さて、部屋でグダグダしていたら出港していたようである。定刻より20分くらい早いようにも感じられたが、人も荷物も載せ終わったら何も時間まで待つこともないか。
船は大阪湾をゆっくり進み、1時間ほどで明石海峡大橋をくぐる。船内でも案内放送が流れたが、すでに何度も下を通った橋なので今回は見に行かない。逆に、その時間を狙って船内のお風呂に入りに行く。先客が出た後の風呂は少しぬるかった。しかし、移動中に風呂につかれることが何よりも素晴らしいのである。ましてやここは海水の上に浮かぶ船の中である。そこで大量の真水を使う風呂に使える贅沢さよ!
夕方になったので、船内のバイキングで夕食を食べることとする。瀬戸内海を晋舟は揺れが少ないので安心してご飯を食べられる。メニューは日本料理と韓国料理が両方あったが、韓国料理のほうが多め。どれもこれもあったかいうえにおいしいので大満足である。
夜中は特にやることもなく、気が向いたタイミングで寝床についた。
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翌朝、目が覚めたのちにテレビの船首映像をみたらまだ闇夜に包まれた関門海峡を抜けるところであった。一晩たつかたたないかでやっと瀬戸内海を抜けるのである。よく考えれば、大阪から北九州の新門司港まで行くフェリーだって一晩かけていくのだから船だとこれくらいの時間距離なのは納得いく話である。しかし、国際航路の船の中で寝て起きてまだ国内となると改めてその距離を実感させられるのである。
どうせ朝ごはんまで少し時間があるからと改めてベッドで横になる。すこしうとうとしていると突然揺れ始める。周期的に襲ってくるアップダウン、外海のうねりに船が揺さぶられ始めたようである。あらかじめ大阪で買っておいた酔い止めをここで飲む。効いてくれるといいが。
船内放送がかかる。もうすぐ食事開始と。しかし、相変わらずの揺れっぷりである。目を開ければ酔うレベルの揺れである。でも腹は減る。意を決して廊下に出る。廊下の両脇につけられた手すりを揺れにうまく乗る形で行ったり来たりしながら前進する。そして、やっとのことで食堂にたどり着く。階段を通らずに済む部屋でよかった。朝食もバイキング。勿論揺れる中。バランス感覚が試される。何とかこぼさずによそって、椅子にたどり着き、汁物で軽めの食事を流し込んだ。部屋に戻ってすぐ横になった。
揺れは相変わらずのものの、人間の体のほうが先に少し順応したようなので、寝そべりながらテレビを見る。そういえば、この日は旧正月。韓国もこの時期が帰省する季節のようである。テレビではチマチョゴリを着た女性キャスターが交通情報を伝えていた。新年らしい景色である。
11時を回り、そろそろ釜山が近づくタイミングだろうということでデッキに出る。風に少し煽られつつも外に出ると、遠くからもよくわかるほどに高層ビルが立ち並ぶ景色が。もう釜山はすぐそこである。ずっと船内にこもっていたのでやっと、異国が近づいたことを実感させられる景色である。
船は釜山港に接岸する。検疫のためといって15分ほど待たされた後に下船が許される。なんとなく整列させようとした痕跡はあったが30人ほどしか乗っていないのであってないようなものであった。
釜山港では大阪とは違いボーディングブリッジで下船することができる。しかし、そこから入国審査場までそこそこ歩かされるので岸壁でじかに乗り降りしてターミナルまでバス移動とりあえずいうのとどちらがいいのかはよくわからない。
数か月後に査証免除が停止されるなど夢にも思わなかったころなので、入国審査はパスポートチェックと顔写真の撮影くらいで実にあっさりしたものであった。仁川空港とは違い、スタンプがしっかり押されたパスポートを受け取ったのちに、検温(おそらく赤外線サーモグラフィー?)と税関検査かテロ対策かは確認し損ねた荷物のX線検査を通り抜けて制限エリアを出る。乗客が少なかったので、ものすごくスピーディーに事が進んだ。そういや、直近数回の海外旅行はいずれもイミグレ等で大して待たされんかったな。もっとも、深夜早朝の羽田とか新千歳の日本国民用レーンとかをつかっていたからだろうけど。
(続)